2014年最後の投稿でーす。今年も、本ブログを訪問していただいた方々、どうもありがとうございましたm–m
この9月に、 ケン・バーンズ(Ken Burns)のドキュメンタリー映画「 The Roosevelts」が’PBSで放送されたが、セオドア(またはテオドール)・ルーズベルト大統領、フランクリン・ルーズベルト大統領、そしてエレノール大統領夫人(フランクリン大統領夫人)のドキュメンタリーで、いつもながら、ケン・バーンズの作品は実によくできていると思う!(ミシガン出身の映画監督がまたひとりで書きましたが、ケン・バーンズは、ミシガン州アナーバーの出身です)。

President of the United States Theodore Roosevelt, head-and-shoulders portrait, facing front. Deutsch: Theodore Roosevelt (1858–1919), Präsident der Vereinigten Staaten von 1901 bis 1909, Friedensnobelpreisträger des Jahres 1906. (Photo credit: Wikipedia)
第26代大統領のセオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)と第32代大統領のフランクリンルーズベルト(Franklin Roosevelt)は、いとこどうしでした。いとこといっても、5th cousin。5th cousinは、かなーり遠い親戚になるようです。(「nth cousin」の数え方が説明されているサイトがいろいろあるので、興味あったら調べてみては)
Theodoreの発音は難しい。「テオドール」よりも、「セオドア」の方が、たぶん米国人に通じそう。
セオドア大統領は、フランクリン大統領よりもエレノール夫人の方により近い親戚関係だったそうで。ええっ! てことは、この3人、みな親戚同士なのか。フランクリン大統領の両親も6th cousinどうしだったそうだし、昔は一族内での結婚がよくあったのだなあ。一族といったって6th cousinくらい遠くなると、ほとんど他人と同じようなもので結婚しても大丈夫なのかも。(あなたも、ひょっとしたら、あなたの配偶者、実は10th cousinくらいだったりして?!)

Franklin Delano Roosevelt, three-quarter length portrait, seated, facing left as Asst. Sect. of the Navy. (Photo credit: Wikipedia)
セオドア大統領は共和党、フランクリン大統領は民主党だったが、どちらも、今の米国を大きく形作った人物。
で、今回は、セオドア・ルーズベルト氏がウイスコンシン州ミルウオーキーで、暗殺未遂に会っていたことについて。
セオドア・ルーズベルトの暗殺未遂があったということさえも、私は知らなかったのだが — いつもながらの無知で、ミシガン湖をフェリーで横断してミルウオーキーに遊びに行った時(フェリーでミシガン湖横断、いざミルウオーキーへ(Crossing Lake Michigan))、ミルウオーキーで泊まったホテルがたまたま、その暗殺未遂の場所だったので、初めて知ったのであった。
泊まったホテルはHyatt Regency Milwaukee。ケチな私は「そんな高いとこ」と渋ったのだが、私よりもぜいたく好きな亭主に押し切られてそのホテルにしたのだった。おかげで、セオドア・ルーズベルト暗殺未遂のことを学ぶことができて、こうしてこのブログを書いている(笑)。
上の写真と説明板は、ホテル1階の廊下の、出口付近に、何気なく飾ってあったもの。
ふーん、何これと見てみて、びっくり仰天!
地元の(失業中だった)バーテンダーが犯人。心無しか、レーガン大統領を撃ったヒンクリー(Hinckley)に、似ているような気がしないでもない。
1912年10月14日、その時には彼は前大統領の身分だったのだが、もう一度大統領を目指して、候補者としてミルウオーキーに遊説に来た時、まさに、この場所、今、自分が立っているこの場所で、胸を撃たれた、と!
これが当時のホテルの外観。
当時はHyatt Regency Milwaukeeではなく、Hotel Gilpatrickというホテルだったそうだ。
セオドア氏は、Hotel Gilpatrickに立ち寄り、地元の名士たちと夕食をした後、近くの会場(現在のMilwaukee Theatre)での演説へ向かうためホテルの外に出て、群衆に挨拶をしながら車に乗ろうとする時に、撃たれたそうだ。
今の、Hyatt Regency Milwaukeeホテルの外観。
(なかなか良いホテルだったです)
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セオドア・ルーズベルト氏は何かと驚異的な人物だったようだが、ここでもそれを十分に発揮。
撃たれた後、すぐに病院へ行かず、予定通り演説会場へ向かい、シャツが血に染まりながらも1時間超の演説をやり遂げたそうだ。なんと いうタフガイ(@@)
病院へ連れて行ってもらったのは、演説を終えてから。
彼は狩猟の経験が豊富だったので、自分が口から血を吐いていないことから弾丸が肺まで貫通していないようであること、だからすぐに病院に行かなくても大丈夫、と自分で判断。「弾丸一つくらいで死にはせん!」と言ったそうである。
陸軍用の厚いオーバーコートを着ていたこと、金属製のメガネケースや50ページの演説文書を胸ポケットに入れていたおかげで、それらに阻まれて弾丸が肺まで達しなかった、と説明文(下)に書いてある。ふー、良かったね。。。
弾丸を抜き取られる手術は行われることなく、彼は胸に弾丸が入ったまま残りの人生を生きたそうだ。痛む時はなかったのかな。。?
彼はhigh energy personで、大統領時代(1901~1909年)でも毎日本を1冊必ず読破し、国民からの膨大な数の手紙に必ず返事をし。。。と、いやはや、すごい人だった。カリスマがあって、歴代の米国の大統領の中でも1、2を争う人気の大統領だったそうである。今ならまるで民主党左派のような政策も打ち出したようだが、当時の共和党は今の共和党とかなり違っていたらしい。
ボクシングを趣味でやっていたというのも、今の時代では考えられない。100年前は、ボクシングは主流のスポーツで、上流階級の人たちでさえやっていたらしい。今なら、テニス、ゴルフ、乗馬、ラクロス(Lacross)、といったところか。ルーズベルトはホワイトハウスで側近とボクシングをして楽しんでいたが、側近に目を打たれ、片目を失明してしまったそうだ。
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セオドア(そしてフランクリン)ルーズベルト大統領について詳しく知りたい方、ケン・バーンズのドキュメンタリー映画、本当に面白いですよ。
9月にテレビで放送されたものが、一部ですが次のリンクで見れます。
大長編。全て見るには購入しないといけないのだろうが、どんなフィルムか、垣間みることができます。ケン・バーンズの作品はいつもそうなのだが、よくまあこんなものを見つけたな、と驚くような写真や文献がたくさん出てくる。南北戦争の頃からの古い古い数々の写真。ワシントンDCの国立公文書館などで調べるのだそうだ。
http://www.pbs.org/kenburns/the-roosevelts/watch-videos/
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最後に、ミルウオーキーの街並みの写真もいくつかを。
きれいな街です。別の投稿で、もっと写真を載せることにします。
では、皆様、良いお年を。A Happy New Year!
Hyatt Regency Milwaukeeホテルのサイトはここ
参考サイト:http://en.wikipedia.org/wiki/Milwaukee_Theatre
http://www.smithsonianmag.com/history/the-speech-that-saved-teddy-roosevelts-life-83479091/?no-ist
ミルウオーキーの街並み綺麗だね。
街灯もレトロだし、窓の枠が立体的。
またいつか他の写真も見せていただけるんだね。
ルーズベルトの逸話も興味深く読ませていただいたよ。
窓の枠が立体的。。。確かにそうですね。キースさんは、視覚が鋭いなあ。さすが写真家の目?! はい、そのうちミルウオーキーの投稿をしますね。あんまり頻繁に書けないですが。
お久しぶりです。お元気ですか。今年は個人的にいろいろあってブログ放置してしまいました(>_<) どうぞ良いお年をお迎えくださいね。 来年もよろしくm(__)m
HappyYuanさん!こちらこそ、あけましておめでとうございます。ありがとうございます。私も去年はドタバタしてました。原稿料でももらわないと、書くの、つい後回しになってしまいますね(笑)九州ブログの方は、もう完全に捨て子放置状態です。お互い、長続きさせましょうね。